印刷・WEB・ITで、お客様の「伝えたい」をデザインする会社、ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。
繊細で幻想的な漆芸術の作家、高橋節郎記をご存じでしょうか。
漆工芸を絵画にしてしまった稀代の芸術家がいます。前例のない独特な作品は、素材、技術、感性が合わさり、作品を見れば高橋節郎の名が浮かぶほどの世界観を持っています。
荘厳な北アルプスが風景となる安曇野出身の芸術家。高橋節郎の生家につくられた安曇野高橋節郎記念美術館に行ってきました。
高橋節郎の作品に初めて触れたのは4年前。これも初めてでしたが1月初旬に長野の善光寺を訪ねました。
境内を散策している間に雪がちらつき、逃げるように入ったすぐ隣にあった美術館。ここで「生誕百年 高橋節郎展」なるものをやっていました。
まったく知らない芸術家の名前、しかし、その作品を見た瞬間に言葉を失いました。
これまでに見たことがない絵画の世界。後から漆芸作品であることは分かりましたが、その漆黒の世界から這い上がるような繊細な金の模様に魅了されました。
施設は長野県信濃美術館でした。美術館を後にしても、雪は降り続いていました。
初めての善光寺で雪が舞い、映画館をでてきたような感覚で、高橋節郎の作品から受けた衝撃を引きづりながら歩く長野の街は、今でもとても良い思い出です。
その年のゴールデンウィークに安曇野に行きました。
高橋節郎だけが目的ではかったのですが、安曇野高橋節郎記念美術館にも立ち寄りましたので、高橋節郎の作品を見るのは今回が3回目となりました。
4年前に訪問した時は、レンタカーで安曇野高橋節郎記念美術館に行きました。駅からは少し離れた場所にあるため、レンタカーで行くのが無難な方法となります。
しかし、地図で見ても分かるように、有明駅からなら20分ほど歩けば行くことができます。
今回は真夏の訪問であったため、レンタサイクルにしました。安曇野の景色を楽しむには、レンタサイクルがおすすめで、穂高の駅前には、レンタサイクル屋さんが3店あります。
今回は、以前から気になっていた自転車屋さんで借りることにしました。ご高齢のご夫婦が経営されていて、申込書も予約もなくそのまま貸してくれますので、ここはおすすめです。
穂高駅から安曇野高橋節郎記念美術館に向かう場合、穂高川を越えることになるのですが、橋の上からはこんな景色を見ることができます。
橋を過ぎると、脇道に入るのが近道となり、そこには田園風景と北アルプスの安曇野ならではの風景が広がっています。
あいにく山の頂が見えませんでしたが、鮮やかな色彩は夏ならではと思います。穂高駅から景色を楽しみながらでも、自転車なら15分ほどで到着します。
安曇野高橋節郎記念美術館は、江戸中期創建とされる茅葺の主屋や、幾つかの土蔵が残っている高橋節郎の生家に建てられた美術館ですが、とてもモダンなつくりの美術館です。
安曇野らしく、水がテーマとなっているようで、展示室がある施設館と古民家を水庭をはさんで向き合うレイアウトになっています。
敷地内には樹木が残り、紅葉の季節はとてもきれいな庭を楽しむことができるそうです。
古民家や土蔵も見学ができますが、私が訪問した時は、ある陶芸家の企画展がそこを会場として使用していました。
その陶芸家の方と意気投合してしまい、古民家の中で話し込んでしまったのですが、古民家でのんびりする貴重な時間を過ごすことができました。
話し込んでしまったのは、この美術館、お客様が少ないのです。安曇野にはたくさんの美術館がありますが、この美術館は離れたところにあり、高橋節郎の名が知れ渡っていなこともあるでしょう。
ゴールデンウィークに訪問した4年前、そしてお盆休みに訪問した今回、混んでもおかしくない時期であっても空いていました。
入場料400円ですし、安曇野に旅行の際は、ぜひお立ち寄りください。
まずは作品を見てみましょう。
館内で、高橋節郎をブログで紹介したい旨を告げ、紹介できる作品画像はありますかと質問してみたのですが、「ネットにあるもので、何か・・・」と、濁すような返事をもらいました。
ネットで調べてみると、案外ないのです。Pinterestで高橋節郎の作品を集めている方がいましたが、ほとんどが美術館のサイトからの画像でした。
そのため、美術館のサイトからダウンロードではなく、ピクチャー画像で有名な作品を紹介させていただきます。
出典:https://www.city.azumino.nagano.jp/site/setsuro-muse/1962.html
絵画のようですが、近づいてみると、彫ってあります。細い線をつくるために、道具まで自分でつくったという話が館内で紹介されました。
漆工芸技といえば蒔絵が浮かぶと思いますが、蒔絵が発展するとこんな芸術作品になるのかと最初は驚きました。
ほとんど、風景が描かれているのですが、花鳥風月ではありません。風流という意味でも風という意味でも風はないのです。
その代わり、星、山、土、木、古代が要素となっています。
古代というのは、安曇野は縄文時代の什器が豊富に出土する土地だそうです。そのため、安曇野に育った高橋節郎は、太古への思い、壮大な時間の流れ、天に広がる宇宙とのつながりに思いを馳せていたようです。
風船が描かれた作品がいくつかあるのですが、こどもの頃に、手から離れた風船が空に舞い上がっていくのをいつまでも眺めていた思い出を表現したとありました。
自分にも同じ思い出があるのですが、安曇野の高橋節郎は、その時も風船の行き先に無限の宇宙を感じていたのだと思います。
高橋節郎は東京美術学校に入った時は画家志望だったそうです。しかし、父親に反対され雨漆芸科に進んだそうです。そこで漆と出会ったのですね。
戦前の作品をみると、衣装箱や屏風などの工芸品の制作をしていますが、戦後の何かも新しくなる空気の中、自由な発想の芸術をめざし、自らの技法を作りあげていったそうです。前例がないのはこのためです。
60歳になって、東京藝術大学で教員の仕事もされたようなのですが、自ら創り上げた技法については、一切教えなかったそうです。
そのため、前例がないだけでなく、続く人もいないことになりますが、技法だけ教えることに意味を感じなかったからだと思います。
大学で徹底したのは感性教育だったそうです。
高橋節郎の教え子が書いた、高橋節郎の教育、指導方針を読むと、高橋節郎が何を伝えたかったのが分かりますので紹介します。
1.漆芸作家でなく芸術家になること。
2.絵を描き、書を書き、詩を書くこと。
3.小説を読むこと。漫画ではイメージが広がらない。
4.映画を見ること。音楽、色、映像とイメージを高める。
5.若いうちに多くの体験をすること。
旅にでること。6.多くのものに触れ、感動しなさい。
7.伝統的な技術の習得には時間をかけること。
自己のものとすること。8.独自の表現、技術、個性ある世界を作り上げること。
これで何となく分かるのは、感性を育てることが重要で、その先に独自の表現の追求があるからこそ、表現、技術も個性ある世界を作り上げる過程の中にあるということ。だから人に教わるものではない。
高橋節郎も漆芸だけでなく、墨彩画、書、彫刻、デザイン、詩の創作までし、作品を残しています。
独特の世界観は、幼い頃に育んだ感性を、自らの努力で磨き上げていく過程にあり、それが藝術へと昇華するのでないかと思いました。
安曇野を歩いていると、北アルプスの山々を神々しく感じることができ、高橋節郎が幼い頃に感じた原風景を想像することができます。
その感覚を持って、高橋節郎の作品を見ると、北アルプスがある風土が育てた作品だと分かり、わくわくとした気持ちになります。
4年前に作品集も購入したのですが、やはり実物でないと、作品の力が半減してしまいます。ぜひ高橋節郎の作品を見に行ってみてください。
安曇野の風景に感性を馴染ませて見ると、作品の見え方も違ってくると思います。