印刷・WEB・ITで、
お客様の「伝えたい」をデザインする会社、
ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。
連休に入る前は、元号が変わることを
それほど意識していませんでしたが、
連休に入ると、連日の報道によって、
意識が高まってきました。
そもそも10連休となったのも、
元号が変わるからですからね。
本日は、平成31年4月30日。
平成最後の日であり、
大晦日がもう一度やってきた感じです。
昨日、再放送でしたが、
天皇陛下が歩まれた人生を振り返る
番組を見ました。
以前、放映した時は、後半を見逃して
いたので、今回は皇后美智子さんの
人生も知ることができました。
本来「美智子さま」なのかもしれませんが、
私の親が、「美智子さん」と親しみを
こめて呼んでいたので、
自分としても「美智子さん」の方が
しっくりくるのです。お許しください。
親が親近感を抱いていたのも、
同年代ということもあったと思います。
天皇陛下の誕生日は、私の父の誕生日と
3週間ほどしか違わず、
美智子さんとは9ヶ月違いで、
同じ年生まれ。
母は天皇陛下誕生の前の年生まれながら、
群馬県出身。
美智子さんの実家の正田家は、
群馬県館林という関係です。
美智子さんは東京で育ったのですが。
テレビ番組の中で、印象に残ったのが、
美智子さんが、
「でんでんむしのかなしみ」という児童文学
作品について触れていたところです。
1998(平成11)年9月、
インド・ニューデリーで開かれた
IBBY(日本国際児童図書評議会)の世界大会。
ここで美智子さんは、
大会の基調講演としてスピーチの
予定があったそうです。
しかし、その年インドで核実験が
行われたことで、インド行きが中止。
それでもビデオメッセージとして
講演された。
テーマは「こどもの本を通しての平和」。
この中で、美智子さんは、
児童文学作品に興味を示されていること、
幼少時の「でんでんむしのかなしみ」
という作品の思い出を初めて語られた
そうです。
講演は日本語版と英語版が作成された
ようなのですが、
英語によるこの時のスピーチが、
Youtubeにあります。
このスピーチの内容が秀逸なのです。
以下の記事でも、取り上げられていたので、
以下の記事から、少し長くなりますが、
引用させていただきます。
今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。
何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。
それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。
自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。
しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。
私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。
本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。
悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。
読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。
私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。
この記事では、このスピーチについて、
このような感想が記されています。
それは、美智子さまの人生哲学とも思えるようなスピーチだった。
天皇皇后両陛下が、被災者を見舞われる
シーンをテレビでよく見ましたが、
美智子さんは、被災地の子どもたちに
絵本を届けられていたということです。
読書が、
私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。
だからこそ、被災地の子どもたちに
絵本を届けたのでしょう。
この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
こんなに、素直で、分かりやすく
響く表現はないと思います。
「でんでん虫のかなしみ」は、
でんでん虫が、自分の背中の殻に、
悲しみが一杯つまっていることに気付き、
もう生きていけないのではないかと考え
いたところ、
訪ねる友達も、みんなが同じだとわかり、
悲しみはみんなが持っていることに
気づく物語なのですが、
美智子さんは、年を重ねても
この物語を思い出し、
だんだん「ああよかった」では
だけでは済まされなくなったそうです。
背中の殻が一杯になる程の悲しみ
というもの。
もう生きていけないと思った
でんでん虫の不安。
これが思いがけない時に
記憶に蘇って来たといいます。
本によって、刻み込まれたイメージが
いつまでも、自分の人生の中で問いかけ、
外に、内に、橋をかけてくれた
ということなのだと思います。
「でんでん虫のかなしみ」について、
美智子さんは、最後にこう語っていました。
生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。
それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。
美智子さんが醸し出す品格は、
生まれ育ちもあるでしょうが、
詩や物語に造詣が深いことも
影響しているのだと思うと、
勇気をもらえます。
人間は「人から学ぶ」「本から学ぶ」「旅から学ぶ」以外に学ぶ方法を持たない動物である
つい先日、出口治明さんの言葉を
紹介させてもらいました。
「本から学ぶ」は人から学ぶこと
になります。
改元をきっかけに、美智子さんから
学ぶことができました。
仕事も根っこがあってこそ。
広げる翼ばかりを考えるのではなく、
根っこに注目したいでですね。
もう少しで、退位礼正殿の儀。
平成が終わります。