2019.8.15 ヂヤンテイ君

AIが決める「最適価格」と、アダム・スミスの「見えざる手」

 

 

 

印刷・WEB・ITで、
お客様の「伝えたい」をデザインする会社、
ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。

 

読売新聞におもしろい特集記事が
ありました。

 

経済学×現代1 AIの「最適価格」幸せ?

 

「経済学×現代」というタイトルの
特集記事が本日の終戦記念日から
スタートしたようです。

 

何やらAIが価格を決めるすし屋が
あると言います。

 

すし屋は時価の場合もありますが、
一般のすし屋であれば、仕入れ状況に
よって店側が決めるもの。

 

それを「寿司ブリトー」という
新しいタイプのすし屋では、

 

AIが仕入れだけでなく、売上の状況、
天気や曜日、時間帯などの条件をもとに
1円単位で計算しているようなのです。

 

サイトを見る限りは、
AIが価格を決める試みをしております。

 

とあるので、
あくまでも試みのようではありますが。

 

自由市場の需要と供給の調整機能を
見えざる手」と呼んだのが、

 

経済学の父と言われるアダム・スミスです。

 

デジタル化が進み、AI技術が
発展していく現在では、

 

様々な情報を瞬時に収集、判断し、
市場に委ねなくとも、

 

需要と供給に応じた最適な価格を
つけることができる。

 

見えざる手が見えるようになった
と指摘する教授の言葉が紹介
されていました。

 

確かにそうとも言えますね。

 

来年の東京五輪の期間中の
ホテルの空室予約サイトで検索すると、

 

通常の10倍前後の価格設定も出ている
ようで、

 

企業が利益を最大化する理想的な
状況が、情報技術の進歩で
もたらされようとしています。

 

しかし、それは本当にそうか。

 

経済学の観点で適切であっても、
消費者の観点からは妥当な
価格なのかどうか?

 

同じ商品の価格が何度も変われば、
消費者はその都度、判断を迫られる
ことになり、

 

価格調整が効率的になるのと、
人が幸せに感じるかどうかは
別問題であるとの指摘がありました。

 

アダム・スミスの「見えざる手」の
主張は、人が利益を追求すれば、
社会の発展につながるというもので
あったが、

 

人間に対する洞察が前提にありました。

 

人間は利己的に見えても、他人と
同じ感情を抱こうとする「共感」という
原理が本性の中にあり、

 

社会を形成する前提に、人間の理性の
論理では説明できない部分がある。

 

だから、「見えざる手」が働くと
主張したのでした。

 

そのため、論理だけでAIが価格設定し、
人間は幸せなのかを検討する必要が
あるという指摘です。

 

アダム・スミスは市場を重視したが、
欠陥も議論していたそうです。

 

市場が大きくなるほど分業が発達し、
生産性は上昇する。

 

同時に人は限られた仕事だけを
するようになり、考える世界が狭くなる。

 

分業は経済発展の柱であると同時に、
人を愚かにするとも指摘していた。

 

現在がまさしくこの状態なのだと思います。

 

政治に関心がなくなり、投票率が
下がるのもこういうことなのでは
ないかと思いました。

 

何かを非常に細かく知っているが、
それ以外に関心が向かなくなる問題
という表現までありました。

 

何かを非常に細かく知る能力が、
他の事象への洞察力となる人も
いるにはいると思いますが。

 

また、市場社会が行き過ぎると、
人は穏やかになりすぎ、
戦うべき時に戦わなくなる。

 

不要な争いを避けることは大事だが、
事なかれ主義に陥りかねないとの指摘も。

 

事なかれ主義とは、波風が
立たないようにすること。

 

戦うといっても、自分と異なる意見の
人と向き合ったり、対話したりすること
が含まれているものと思えます。

 

もう1点、アダム・スミスが指摘していた
ことになりますが、

 

社会の正義を管理する存在としての
政府の能力には限界があり、

 

製造業者や特権階級に取り込まれる
恐れがあるということ。

 

現代でもこのようなことは起きていない
だろうかと、
この記事では指摘していました。

 

今日は終戦記念日です。

 

戦後の日本は、大きな経済的な発展を
遂げることができ、

 

物質的には豊かな暮らしができるように
なったと思います。

 

しかし、このまま経済優先、効率優先で、
進んでいく先に何があるのかと
心配になることがあります。

 

物質的な豊かな暮らしと引き換えに、
心の豊かさや、人間らしさを、
置き去りにしてきたように思えるからです。

 

アダム・スミスの250年前の懸念が、
現実となっていると感じました。

 

技術の発展は、心の豊かさや、
人間らしさを取り戻すために、
使われるべきだと思います。

 

とにかく経済優先で走ってきた
日本の戦後はまだ終わっていないのだと
思います。

 

終戦記念日に感じたことです。