2019.5.2 ヂヤンテイ君

平成のキーワード「インターネット」が令和へ

 

 

 

印刷・WEB・ITで、
お客様の「伝えたい」をデザインする会社、
ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。

 

改元を機に、平成を振り返るテレビ番組
が多かったと思います。

 

平成時代に起こった事件を振り返る
番組を少し前に見たのですが、

 

まったく知らなかった事件、
うる覚えの事件が、案外多いことに
気づきました。

 

自らの平成を振り返ると、
20代半ば〜50代半ばにあたるため、

 

とにかく、仕事、仕事、仕事!
そんな記憶が強くあります。

 

現在のような、働き方改革なんて
話はなかったですし、

 

「24時間働けますか?」の時代であり、
覚えていない事件があっても無理も
ないなと思いました。

 

我々の業界は、それでなくても
遅くまで働く業界とし認知されて
いたこともあります。

 

その傾向は、今もあるにはあるのですが、
休みをしっかり取ることができる
ようになったことは、以前と違うことです。

 

社会の空気として、しっかり休むことも
必要であるとの認識が進んだから
でしょう。

 

そんな平成ですが、それまでの時代と
違う大きな特色は、インターネット
だと思います。

 

インターネット広告の歴史を振り返る
記事にも書きましたが、

 

1995年の「ウィンドウズ95」発売を機に、
普及しだしたインターネットに
大きな希望を抱いていました。

 

この10年前の1985年は、
イギリスのバンド・エイドの成功を受けた
ウィ・アー・ザ・ワールドの年。

 

世界が協力しあう、新たな時代が
くるのだと、わくわくしものです。

 

しかし、世の中が、どんどん良く
なっていくという期待感とは裏腹に、

 

自分がやるべきことは、何なのろうという、
焦燥感があったことを良く覚えています。

 

そんな翌年1986年に、
チェルノブイリ原子力発電所事故。

 

人類には、こんなに大きな課題が
あったではないかと、
環境問題に目覚めました。

 

私の社会との接し方の原点は、
ここにあったと考えています。

 

1989年、平成が始まった年の11月、
ベルリンの壁の崩壊。

 

生まれる前から、東西が分断している
世界で育ってきたので、

 

その象徴とも言える、ベルリンの壁が
崩壊するとは思いもしませんでした。

 

知り合いの中には、これは世紀的な
大事件である、何かをしなければと
突き動かされるかのごとく、

 

ベルリンに行ってしまった人も
いました。

 

2年後の1991年にソ連の消滅。
信じられないようなことが
続いたのが平成の始まりだったと思います。

 

そして、東西冷戦が終結し、
ウィ・アー・ザ・ワールドの本番が
やってくるのだと感じたものですが、

 

日本ではバルブが崩壊し、
不安定な気持ちの方が勝っていた
記憶があります。

 

ここで個人的な話となりますが、
私が、この会社に入社したのが1994年。

 

新聞紙上に、毎日のように
インターネットの文字が並ぶように
なりました。

 

パソコン通信の時代から、
コンピューターで世界がつながる
ことに期待がいっぱいだったため、

 

1日でも早く、インターネットを
見てみたいと思っていました。

 

「ウィンドウズ95」が発売され、
当社も確か、1996年に1台のパソコンだけ、

 

インターネットにつなげて
もらうことになりました。

 

初期の日本のインターネットは、
WEBサイトもまだほとんどなく、

 

少しがっかりするような内容であった
と記憶しています。

 

それでも、ネットワークで、
世界とつながっていることに対し、
将来的な期待がいっぱいでした。

 

今度こそ、ウィ・アー・ザ・ワールド
になっていくのだと。

 

私の記憶だと、インターネットが
本格的に普及していくきっかけは、
「ウィンドウズ98」だったと思います。

 

総務省 情報通信白書によると、
日本のインターネット人口普及率は、
1998年が13.4%
1999年が21.4%
2000年が37.1%

 

いわゆるイノベーター理論における
アーリーアダプターとアーリーマジョリティ
の間にあるキャズムを乗り越えて
いったのがこの時期。

 

ホームページの制作に疑心暗鬼だった
お客様が、前向きになった時期が
ありました。

 

インターネットが仕事に家庭に
普及していき、スマートフォンに
よるモバイル革命があり、

 

ブログが始まりSNSが普及し、
人々の意識や行動が変わって
いきました。

 

そして、ウィ・アー・ザ・ワールドは
どうなったのか?

 

コンピューター同士が地球規模で
つながっていても、

 

SNSのつながりに疲れ、
つながることをやめてしまったり、

 

一方、デジタルのつながりを武器に、
巨大IT企業が市場を独占し、

 

個人データの取り扱いが問題視
される時代になってきました。

 

つながることの可能性よりも、
ネガティブな面が露出してきたのが
現在なのではないかと思います。

 

モノのインターネットと言われる
lotや、スマートスピーカーの
普及はまだまだこれからで、

 

これまでにない暮らしの未来像が
描かれていますが、

 

つながることは、個人情報を
提供することなのだと、

 

誰しもが分かってきた時代になった
からこそ、

 

これからインターネットは、
公共性の高いメディアとして、

 

活用していく時代になっていくのだと
思います。

 

「第2のインターネット」が必要である
という考え方になっていることを
この休みの中で知りました、

 

インターネットによって、
様々な便利なサービスが生まれ、
享受してきたのだからこそ、

 

良い面を伸ばし、負の側面を
改善していくことで、
経済成長につながげるしかないでしょう。

 

ウィ・アー・ザ・ワールドは
そんなに簡単なことではないと、
さすがに分かってきました。

 

かといって、前時代に戻るようなことが、
あってはならないと思います。

 

平成時代のインターネットの経験を
可能性に変える令和になって
ほしいと思います。

 

コミュニケーションが活発になると
考えられたインターネットが、

 

コミュニケーション不断の
道具にもなりかねないということは、

 

コミュニケーションがいかに
大変かを示していることになります。

 

インターネットをどう活用するか、
これからも追求していく必要が
あるようです。

 

仕事の前提に、社会への貢献があり、
休みを利用して振り返ってみました。