印刷・WEB・ITで、お客様の「伝えたい」をデザインする会社、ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。
みずみずしく淡い、こどもと花の水彩画。画家・絵本作家いわさきちひろに、会いに行ってきました。場所は、安曇野ちひろ美術館。
「ちひろ・アンデルセンの世界」
「<企画展> 童画の国のパイオニアたち ―日本童画家協会の7人」
「ちひろ美術館コレクション展 世界のおはなし」
同時に3つの展示会。美術館の周囲に広がる53500m2の安曇野ちひろ公園と、おなかいっぱいになる美術館でした。
北アルプスの裾野にたたずむ安曇野には、立ち寄りも含めてこの夏で5回目となりました。
きれない空気と水、田園風景しかない街ですが、北アルプスの荘厳な景色があることから、街を歩いたり、自転車で走るだけでも楽しく、お気に入りの街です。
何もない安曇野ながら、安曇野アートラインといわれるほどに、美術館や博物館が20種ほどがあり、アートの里としても有名です。
すでにいくつかの美術館は訪問したことがあるのですが、安曇野ちひろ美術館に行く機会を逃していました。他の美術館と比べ、やや遠いというイメージがあったからなのですが、今回、行ってみて分かったのですが、そんなことはありませんでした。
マイカーかレンタカーがあれば、安曇野の中心である穂高駅から20分ほど。信濃松川駅まで行けば徒歩で30分。駅前にレンタサイクルがあるようなので、それを借りれば10分ほどだそうです。
今回は、マイカーもレンタカーもなかったため、信濃松川駅でレンタサイクルを借りるつもりいたのですが、訪問する当日の朝に、穂高駅からの周遊バスで安曇野ちひろ美術館に行くことができることが分かり、真夏ということもあり、周遊バスで行くことにしました。
周遊バスといっても、この時期は、安曇野ちひろ美術館が最初の停留所となっているため、穂高駅から20分ほどで到着してしまいました。
安曇野スケッチロードという、信号機がない、北アルプスと田園風景が続く道を走るので、到着するまでが良い観光となりました。
安曇野ちひろ美術館の特徴は、広大な安曇野ちひろ公園の中にあるということ。到着した途端、こちらの公園の景色の方が気になり、先に散策することにしました。
美術館に併設された、北アルプスの山々や、安曇野の田園風景を望む大きな公園ですが、近所の方が犬を連れて散歩していたりする、誰でも入ることができる公園です。
美術館の公園だけあり、オブジェがあるなと思ったら、チェコの絵本画家、クヴィエタ・パツォウスカーがデザインした庭石のオブジェ8つもあるとのこと。
2つの池もあり、そちらもこの方のデザインのようで、池にそそぐ清流が園内を走ります。
こちらは、いわさきちひろが晩年、黒姫高原で過ごしたアトリエを兼ねた山荘を復元した建物。
ここに来て思い出すのは、いわさきちひろの名前を知ったのは、戦後一番の大ベストセラー黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』だったということ。
この本にいわさきちひろの絵が使われた関係で、トットちゃん広場というエリアもありました。
この電車は『窓ぎわのトットちゃん』で紹介されたトモエ学園にあった電車の教室を再現しているようです。中は図書室と教室になっていました。
花畑も。ラベンダーに似た『ブルーサルビア』。
その他、農園があり、体験交流館があり、美術館の館内も含めて、子どもたちが様々な体験ができる環境を用意しているようでした。
美術館は、子ども連れで行く場所ではありませんが、いわさきちひろ美術館は、子どもたちが人生で初めて訪れる美術館「ファーストミュージアム」として親しんでもらいたいというコンセプトで運営しているようです。
館内には授乳室もキッズルームもあり、ファミリーで行くことができる美術館になっています。子どもたちはこの公園だけで、1日過ごしても良いのではないでしょうか。
当日、天気は悪くはなかったのですが、北アルプスの山々は雲で覆われていました。
雄大な北アルプスの景色が望めたら最高でしたが、素晴らしい環境にある美術館であると、つくづく感じました。
公園についての詳細は、HPを参照してみてください。
さていよいよ館内です。入館料大人800円。高校生以下無料でした。入り口で渡された、いいわさきちひろの絵が描かれた入館証を、見えるところにつけていれば、当日は出入り自由とのことでした。
こちらは、公園とつながるもう1つの入り口。訪問した日は「ちひろ・アンデルセンの世界」という展示会をやっていました。
アンデルセンはデンマークの童話作家。子どもの時に一度は読んだことがあるのではないでしょうか?いわさきちひろは、日本でも有数のアンデルセンの描き手だったそうです。
アンデルセンの世界に惹かれ、アンデルセンの生家まで訪問した記録も紹介されていました。
いわさきちひろは童話絵本の挿し絵の仕事も多くされているので、子どものころに読んだ童話の挿し絵がいわさきちひろだったかもしれず、日本人であれば、いつのも間にか、いわさきちひろの絵に触れているのかもしれません。
当時出版された絵本も置いてあり、手にして中をめくることができました。
その中の挿し絵が作品として飾られているのものもありましたが、もともと挿し絵の領域を超えた作品だったことがわかり、挿し絵になった時はとトリミングされているで、作品は違う目で眺めることができます。
中でも人魚姫の中の「王子を想う人魚姫」という作品が素晴らしく、しばらくその作品の前に佇んでしまいました。
展示室の中は当然ながら撮影禁止であり、作品の画像を掲載することもできないため、いわさきちひろ美術館のサイトからスクリーンショットで紹介させていただきます。
出典:https://chihiro.jp/works/#work-21
展示室でいわさきちひろの生い立ちから経歴も紹介されていました。
また、いわさきちひろが最も影響を受けたフランスの画家として、マリー・ローランサンが紹介され、彼女の作品も展示してありました。
その作品を見て、なるほどと思いました。
知らない人が、マリー・ローランサンの絵をみたら、いわさきちひろの作品だと思ってしまうのではないか、そう思えるほど強い影響を受けたことが分かります。
いわさきちひろは、初めてマリー・ローランサンの絵をみたときに「どうしてこの人は私の好きな色ばかりでこんなにやさしい絵を描くのだろうか」と驚いたと書いてありました。
パステル調のやさしい色づかい。いわさきちひろのあの独特の世界感は、マリー・ローランサンが原点になっていたことがよく分かりました。
マリー・ローランサンは、20世紀初頭のパリで活躍した女性画家で、日本で人気が高く、唯一の専門美術館が日本にあります。
蓼科高原にあったものが閉館し、東京のホテルニューオータニ・ガーデンコートに2017年にオープンしたようで、今度はそちらにも行ってみたいと思います。
どうして、いわさきちひろの絵に惹かれるのだろうか、よく分からかったのですが、展示の内容を見ながら、子どものころから親しんでいたからではないかと思いました。
展示室には油絵もありましたが、基本は水彩画で、とても淡くやさしい絵が多いと思います。元気で生き生きとした子どもの表情ではなく、遠くを見つめている、夢を見ているような子どもの表情になっています。
そこにかえって、子どもの美しさと生命力を感じてしまいます。
いわさきちひろは、福井県で生まれ、東京で育ったようです。1918年生まれなので27歳まで、青春時代を戦争とともに暮らしたことになります。
しかし、そんななか入学した東京府立第六高等女学校(現在の東京都立三田高等学校)は、生徒の個性を重んじ、試験もなく、成績表も希望者に配布されるのみだったとWikipediaにはあります。
戦前にこんな学校があったとは驚きですが、『窓ぎわのトットちゃん』のトモエ学園も、リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校であり、子どもの個性と自主性を尊重する教育を実践していました。
入学した学校が良く、いわさきちひろの才能を開花させたのではないかと感じました。
青春時代に戦争を経験した、いわさきちひろは「世界中のこども みんなに 平和としあわせを」ということばを残しています。
「二度と戦争を起こしてはならない」という強い想いが、作品の根底に流れている。そう想い作品を眺めると強い気持ちになることができます。
いわさきちひろ美術館は東京にもあります。絵本作家の美術館は珍しいようで、いわさきちひろの作品のみならず、世界の絵本を紹介する美術館に発展しているそうです。
そのため安曇野にも美術館ができたという経緯のようですが、信州はご両親の出身地で、安曇野の松川村は、いわさきちひろのご両親が、戦後、開拓農民として暮らした場所です。
子どもを出産後、いわさきちひろは何度もこの地と東京を行き来したようです。
展示室で知ったのですが、いわさきちひろは享年55。若くして癌で亡くなりました。
実は、私は今55歳。数多くの作品を残したいわさきちひろに出会い、もっと頑張らなければと、大好きな安曇野で思いました。
ファミリーでも一人でも大丈夫です。男性客もたくさんいました。安曇野ちひろ美術館を訪れてみてください。いわさきちひろの心と、北アルプスの山々が歓迎してくれます。