2019.1.2 ヂヤンテイ君

北アルプスが見守る街、松本にある18歳の地図。

 

 

印刷・WEB・ITで、
お客様の「伝えたい」をデザインする会社、
ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。

 

ここ何年か、年末は家族で
山梨の温泉に行っていたのですが、

 

昨年末は、少し足を伸ばして
松本に近い温泉にしました。

 

一泊の旅行で、あいにくトラブルもあり、
観光もほとんど出来ぬまま
帰ってきてしまったのですが、

 

松本城くらいは見ておこう
と帰り際に寄ってきました。

 

運が良く、晴天のもと、
松本城と北アルプスを
撮影することができました。

 

松本城を撮影するなら、
ありがちではありますが、
絶対にこの角度。

 

雄大な北アルプスと対話する
松本城でなければならないと、
勝手に決めつけています。

 

4年ほど前、仕事を兼ねて
初めて松本に行きました。

 

 

その時、長野県の風景の素晴らしさを
知ってしまい、

 

その後、毎年のように長野県に足を運ぶ
ようになりました。

 

安曇野、上高地、白馬、奈良井など、
松本が起点になる場合は、
松本の街も必ず散策したので、
これで、5回目の松本訪問となりました。

 

松本の街にも慣れてきて、
街を歩いていても新鮮さはないのですが、

 

街の雰囲気が好きなのです。

 

初めて松本訪問した時は、
人に会うことが目的だったので、
観光という意識がまったくなく、

 

それでも帰る日に、薦められた
アルプス公園に行き、
北アルプスの迫力にとりつかれ、

 

そのあと、あがたの森公園に寄ったところ、
旧制松本高校の木造校舎の一部
が保存されていて、

 

文化の薫りと落ち着いた雰囲気の
良さに魅了されてしまいました。

 

 

木造校舎は旧制高等学校記念館と
なっており、

 

松本高校だけでなく、
全国の旧制高等学校の資料もあって、
旧制高等学校のことが勉強できる
展示になっていました。

 

もちろん、旧制松本高校の
資料も展示されていたのですが、

 

その中で、作家北杜夫の展示を
目にした時に衝撃が走りました。

 

二十歳くらいの時に読んだ
「どくとるマンボウ青春記」
が蘇ってきたのです。

 

そうだ、北杜夫は松本高校だったのだと、
思い出すとともに、

 

『どくとるマンボウ青春記』の中の
世界が思い出され、松本の街が
私の中で、急に別の街になりました。

 

青春記以外は、
『幽霊-或る幼年と青春の物語』
『楡家の人びと』
『どくとるマンボウ航海記』

 

くらいしか読まなかったのですが、
北杜夫の繊細な文体が大好きでした。

 

旧制高等学校記念館で、
当時の血気盛んな学生の息吹に触れ、

 

この校舎の中に、そんな青春があったのだ
と思いつつ、校舎を眺めると感慨深く、
記念館から出たあとも、

 

しばらく公園のベンチで、
過ごしたことを覚えています。

 

 

その時、目の前の講堂で、
オーケストラの練習の音が
聞こえたのですが、

 

世界的な指揮者、小澤征爾さんが
毎年松本でコンサートを開いており、
そのための練習だということを知りました。

 

ここで小澤征爾さんと結びつくとは
思いませんでした。

 

これは昨年末、松本の街にあった
「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」
の大きなポスターです。

 

 

最初の松本訪問時に、
NHK連続テレビ小説『水色の時』
だけは意識していました。

 

1975年放送なので、
私も子供の時、

 

松本と安曇野が舞台だったので、
当時テレビで観た、山の景色の記憶と
ドラマの印象だけは覚えていました。

 

『水色の時』の話をしたところ、
最初の訪問の時に会った方が、

 

『白線流し』も松本を舞台にした
ドラマであると、教えてくれました。

 

白線流しは、高山市の斐太高校で
続いている、
卒業式の後に行われる伝統行事。

 

在校生が『送別歌』を歌う中、
卒業生が、学生帽の白線と
セーラー服のスカーフを
結んで川に流すという趣のある
惜別の儀式で、

 

1990年代に、
ドキュメンタリー番組が評判に
なっていたことは知っていました。

 

それがドラマになって、
松本が舞台だったことは、
その時まで知らなかったのです。

 

東京に戻ってから、
松本の街がでてくるならと、
ドラマ『白線流し』を観ました。

 

最初の放映時から20年ほどは
経っていましたが、
これにも、はまってしまいました。

 

卒業を控えた高校3年生7人の
夏から卒業までを追った青春物語、

 

常に事件が起こり、
多感な時期の心の揺れ具合と、
松本の風景がとてもマッチしていて、

 

切ないながらも爽やかな
ドラマで感動してしまったのです。

 

松本に2回目に行った時は、
ドラマのロケ地を調べて
巡ってみたりしました。

 

北杜夫の旧制松本高校から始まり、
白線流しにつながり、

 

私にとっての松本は
青春群像が漂う街になっていきました。

 

この会社で仕事をするようになり、
偶然にも、主に専門学校の広報活動を
サポートする仕事をするようになりました。

 

18歳前後の方々に、進学の案内を
するための、コミュニケーションツール
を作り続けてきたのですが、

 

原稿を書く時は、どこかしらに
18歳へのメッセージを込めて
書いてきたつもりです。

 

18歳の選択で人生が決まるとは
言えませんが、

 

18歳は、人生の中でも大きな
節目の時だと思います。

 

自らを振り返ると、
感受性ばかりが先走り、

 

将来の展望がまったく描けず、
18歳の地図の中を悩みながら
彷徨い続けていました。

 

そんな過去の自分のような18歳に
手を差し伸べてあげたい。

 

専門学校の仕事をしている時の
私のスタンスはこれです。

 

自分の興味のあることがあるのなら、
他のことを一切考えず、そこに
向かっていけば良いと思います。

 

自分の人生なのだから、
他人のために生きる必要はありません。

 

松本の街が好きなのは、
爽やかな18歳の地図がある街
なのではないか
と自分では考えています。

 

バックに北アルプスが控え、
18歳を悠然と見守り、
未来へ誘う街としての松本。

 

松本の街に惹かれる気持ちは、
最初に訪問した、

 

北アルプスの景色を望む
アルプス公園と、

 

旧制松本高校の校舎が保存されている
あがたの森公園で決まったのだと
思っています。

 

18歳へのコミュニケーションツールを
作る仕事と、松本の街への興味が
つながっているのだと気づいたのは、
かなり後になってからなのですが。

 

『orange』というコミックがあり、
TVアニメ化されているようで、

 

こちらも松本を舞台にした
高校生の物語のようなのです。

 

松本の18歳の地図は、
引き継がれているのだと思いました。

 

今回は松本の街にいたのが
2時間ほどだったので、

 

過去に訪問した時の写真も使い
この記事の補足とさせてもらいました。

 

18歳は人生の岐路に立ち向かう時
という象徴的なキーワードとして
考えています。

 

悩み彷徨う18歳に
手を差し伸べてあげたい。

 

これからも、それを仕事にして
いきたいと思っています。